鉄道DXを進めるうえで、保守記録の電子化は多くの現場で検討されやすいテーマです。紙の点検簿、手書きの作業日報、写真台帳、設備ごとの履歴表、引継ぎ資料などを電子化できれば、検索性が高まり、転記作業や保管作業の負担を減らせる可能性があります。過去の故障履歴や補修履歴を見つけやすくなれば、次回点検や更新計画にも活用しやすくなります。
一方で、保守記録は単なる事務書類ではありません。列車運行の安全、設備状態の判断、異常時対応、監査対応、社内外への説明責任に関わる重要な情報です。そのため、電子化の目的があいまいなまま進むと、入力項目が増えただけで現場負担が重くなったり、紙と電子の二重管理が残ったり、必要な記録を必要な場面で取り出せなかったりします。
この記事では、「鉄道 DX」で保守記録の電子化を検討する実務担当者に向けて、導入前に確認しておきたい5つの注意点を整理します。単に紙を画面に置き換えるのではなく、現場で使われ、保守判断に役立ち、将来のデータ活用につながる記録運用を作るための考え方を解説します。
保守記録の電子化目的を紙削減だけにしない
鉄道DXで保守記録を電子化する際、最初に注意したいのは、目的を「紙をなくすこと」だけに置かないことです。紙の保管場所を減らすことや、手書き記録を減らすことは効果の一つです。しかし、それだけを目的にすると、現場にとっては紙の記録用紙が画面入力に変わっただけになり、業務改善としての実感が生まれにくくなります。
保守記録の電子化で目指したいのは、記録を後から使える情報に変えることです。例えば、設備ごとの点検結果を時系列で追えるようにする、異常の発生傾向を把握しやすくする、補修の実施履歴と次回点検計画を結びつける、写真や位置情報と記録を関連づける、といった使い方が考えられます。これらは紙を減らすだけでは実現しにくい価値です。
現場では、点検後に記録を残すこと自体が目的化している場合があります。もちろん、記録を残すことは重要です。しかし、記録が後続の判断に使われなければ、入力作業の負担ばかりが目立ちます。電子化を進める前には、その記録を誰が、いつ、何の判断に使うのかを明確にする必要があります。
たとえば、軌道、土木構造物、電気設備、信号通信設備、駅設備など、保守対象によって記録の使われ方は異なります。日常点検で異常の有無を確認する記録と、長期的な劣化傾向を見る記録では、必要な項目も粒度も違います。事故や故障の再発防止に使う記録と、更新計画の根拠に使う記録でも、残すべき情報は変わります。すべての記録を同じ形式で電子化しようとすると、必要以上に入力が重くなり、現場で使いにくい仕組みになりがちです。
また、電子化の目的を管理部門だけで決めると、現場の実態とずれることがあります。管理側は集計や検索を重視し、現場側は短時間で正確に記録できることを重視します。どちらか一方だけを優先すると、定着しにくくなります。導入前には、現場担当者、管理者、設備所管部署、情報システム担当、監査や安全管理に関わる部門の視点を整理し、電子化によって何を改善するのかを共通認識にしておくことが大切です。
紙の記録には、一覧性や書き込みやすさという利点もあります。現場で図面や点検簿を広げ、気づいたことを余白に書き込む運用が根づいている場合、単純に画面入力へ置き換えるだけでは、かえって情報が残りにくくなることもあります。電子化では、紙の良さを完全に否定するのではなく、どの情報を構造化して残すのか、どの情報を写真や自由記述として残すのか、どの場面では印刷物や帳票形式が必要なのかを整理する必要があります。
さらに、保守記録は安全に関わる情報であるため、後から内容を確認できること、改ざんや誤消去を防げること、承認や確認の履歴が残ることも重要です。単にデータ入力欄を作るだけでなく、誰が記録し、誰が確認し、いつ修正され、どの版が正式な記録なのかを追える設計が求められます。この視点が不足すると、電子化したにもかかわらず、最終的な証跡として紙を残し続けることになり、二重管理の原因になります。
鉄道DXにおける保守記録の電子化は、現場の記録作業を軽くしながら、設備状態をより正確に把握するための取り組みです。紙削減だけを目的にせず、保守判断、異常対応、更新計画、引継ぎ、教育、監査対応まで含めて、どの業務価値につなげるのかを最初に決めておくことが重要です。
記録項目と入力ルールを現場単位でそろえる
保守記録を電子化する前に必ず確認したいのが、記録項目と入力ルールの統一です。電子化では、紙の記録よりもデータの比較や集計がしやすくなります。しかし、その前提として、入力される内容が一定のルールに沿っている必要があります。同じ設備、同じ点検内容であっても、現場ごとに表現や判断基準がばらばらでは、後からデータとして活用しにくくなります。
紙の運用では、担当者ごとの書き方の違いがある程度許容されていることがあります。例えば、異常なしを「良」「異常なし」「問題なし」「○」などと書く場合があります。補修が必要な状態についても、「要確認」「様子見」「次回点検で確認」「早期対応」など、表現が統一されていないことがあります。人が読む場合は文脈で理解できても、電子データとして検索や集計を行う場合には、同じ意味の記録が別々の情報として扱われてしまいます。
そのため、電子化前には、記録項目を単に紙から写すのではなく、どの項目を選択式にするのか、どの項目を数値入力にするのか、どの項目を自由記述にするのかを整理する必要があります。点検結果の判定、異常の種類、対応区分、緊急度、設備状態、原因分類などは、後から集計したい情報になりやすいため、できるだけ入力ルールをそろえることが望ましいです。一方で、現場の気づきや特殊事情は定型項目だけでは表現できないため、自由記述欄や写真添付欄を残すことも必要です。
入力ルールを決める際には、現場の判断を過度に単純化しないことが重要です。鉄道設備の保守では、同じ「ひび割れ」「摩耗」「腐食」「緩み」「変形」といった表現でも、設備の種類、位置、進行度、周辺条件によって意味が変わります。選択肢を少なくしすぎると、現場が正確に状態を表現できなくなります。逆に、選択肢を細かくしすぎると、入力に迷いが生じ、担当者によって選び方が分かれます。実務で使う分類は、現場が迷わず選べる粒度と、管理側が分析に使える粒度のバランスを取る必要があります。
また、設備名称や設備番号の扱いも重要です。保守記録は、どの設備に関する記録なのかが正確に紐づいていなければ意味を持ちません。紙では担当者が場所や設備名から判断できていたとしても、電子化後は設備台帳との紐づけが重要になります。駅名、線名、キロ程、設備番号、設置場所、系統、部位などの管理単位が整理されていないと、記録が分散したり、同じ設備に複数の名称が付いたりします。
現場単位で独自の呼び方が定着している設備もあります。通称や略称は現場では便利ですが、電子化後の検索や引継ぎでは混乱の原因になります。正式名称と現場で使われる呼称の対応を整理し、入力時にはできるだけ選択式で設備を指定できるようにしておくと、記録のばらつきを抑えやすくなります。特に複数部署が同じ設備に関わる場合、名称や管理単位の統一は早めに確認しておくべきです。
写真の記録ルールも見落としやすいポイントです。電子化すると写真を添付しやすくなりますが、撮影位置、撮影方向、対象範囲、遠景と近景の使い分け、補修前後の撮影方法がばらばらだと、後から比較しにくくなります。写真は証跡として有効ですが、何を示す写真なのかが分からなければ、記録としての価値が下がります。必要に応じて、撮影の基本ルールやコメントの書き方を決めておくことが重要です。
入力ルールは、一度決めたら終わりではありません。試行運用を通じて、入力しづらい項目、現場判断と合わない選択肢、集計に使いにくい分類が見えてきます。最初から完璧な項目設計を目指すよりも、重要項目を絞って始め、現場の意見を反映しながら改善する方が定着しやすくなります。ただし、運用開始後に項目を頻繁に変えると、過去データとの比較が難しくなるため、変更履歴と移行ルールを残しておく必要があります。
鉄道DXでは、データを集めること自体よりも、信頼できるデータを継続的に蓄積することが重要です。保守記録の電子化では、現場の入力負担を抑えつつ、設備状態を正確に表せる項目とルールを整えることが、後の活用効果を大きく左右します。
現場の通信環境と端末運用を先に確認する
保守記録の電子化を進める際、システムの機能や画面設計に注目しがちですが、実際の成否を左右するのは現場で安定して使えるかどうかです。鉄道保守の現場は、駅構内、線路沿い、トンネル、橋りょう、山間部、車両基地、電気設備室など多様です。通信が安定しない場所や、端末を操作しにくい環境もあります。机上では便利に見える仕組みでも、現場で使いにくければ記録の質は上がりません。
まず確認すべきなのは、作業場所ごとの通信状況です。保守作業は必ずしも通信環境の良い場所で行われるわけではありません。地下区間、トンネル内、山間部、設備室の奥、金属構造物に囲まれた場所などでは、通信が不安定になることがあります。記録入力のたびに通信待ちが発生したり、保存に失敗したりすると、現場では電子記録への信頼が下がります。電子化前には、主要な作業場所で通信の可否を確認し、通信できない場所でも一時保存できる運用を検討することが大切です。
端末の持ち運びや操作性も重要です。保守作業では、工具、測定器、図面、保護具などを持ちながら移動する場面があります。雨天、夜間、寒冷時、粉じんの多い場所、足場の悪い場所では、画面操作がしづらくなることもあります。手袋を着用したまま入力できるか、画面が屋外で見やすいか、写真撮影から記録添付までが簡単か、片手で操作できるか、落下や汚れへの対策があるかといった点は、現場で実際に試さないと分かりません。
バッテリー管理も見逃せません。長時間の点検や夜間作業では、端末の充電切れが記録作業の停止につながります。予備端末や充電方法、作業前点検、端末の保管場所、故障時の代替手段を決めておく必要があります。特に複数班が同時に作業する場合、端末の台数や貸出管理が不十分だと、記録の電子化が現場の段取りを乱す原因になります。
端末を誰が管理するのかも明確にしておくべきです。個人に割り当てるのか、班単位で共用するのか、作業所や設備区で管理するのかによって、ログイン方法、責任範囲、紛失時対応、更新作業、端末内データの扱いが変わります。共用端末では、前の利用者のログイン状態が残らないようにすることや、記録者を正確に識別できることが重要です。個人端末の場合でも、異動や休職、退職時のアカウント管理を決めておく必要があります。
現場での安全面も考慮が必要です。保守作業中に端末操作へ意識が向きすぎると、周囲確認がおろそかになる恐れがあります。鉄道保守では、作業時間、作業範囲、列車運行との関係、指揮命令系統、安全確認手順が重要です。記録入力は必要ですが、安全確認より優先されるものではありません。現場で入力する内容と、作業後に落ち着いた場所で入力する内容を分けるなど、安全を妨げない運用設計が求められます。
電子化によって写真や位置情報を扱う場合は、情報管理の観点も必要です。設備の詳細、構内の状況、作業手順に関わる情報は、取り扱いに注意が必要な場合があります。端末紛失時の対策、画面ロック、アクセス権限、不要データの保存禁止、外部への共有制限などを決めておかないと、便利さと引き換えに情報管理上のリスクが高まります。
さらに、現場で使う端末や入力画面は、教育のしやすさも大切です。熟練者だけでなく、新人や応援者、協力会社の担当者が関わる場合もあります。操作手順が複雑だと、入力漏れや誤操作が増えます。初回教育だけでなく、作業前に確認できる簡潔な手順、よくある誤入力の例、トラブル時の連絡先を用意しておくと、運用開始後の混乱を減らせます。
保守記録の電子化は、事務所の机の上で完結するものではありません。実際に記録を作るのは現場です。通信が不安定でも使えるか、端末が作業環境に耐えられるか、安全確認を妨げないか、故障や紛失時に記録が止まらないかを導入前に確認することで、電子化の定着性は大きく変わります。
紙記録との二重管理期間を長引かせない
保守記録を電子化するとき、多くの現場で発生しやすい問題が、紙と電子の二重管理です。移行直後に一定期間だけ紙と電子を併用することはあります。新しい運用に慣れるまでの確認期間や、記録の欠落を防ぐための予備運用としては有効です。しかし、その期間が長引くと、現場の負担が増え、電子化の効果が見えにくくなります。
二重管理が起きる理由はいくつかあります。電子記録が正式な記録として認められるか不安がある、監査や確認時に紙の方が説明しやすい、承認印や確認サインの運用が紙前提のまま残っている、過去記録が紙で保管されているため比較しにくい、電子入力の信頼性がまだ十分でない、といった事情です。これらを整理しないまま電子化を始めると、紙を残したまま電子にも入力する状態が続きます。
現場にとって二重管理は大きな負担です。点検結果を紙に記入し、その後に同じ内容を電子入力する場合、作業時間が増えるだけでなく、転記ミスも発生します。紙と電子の内容が一致しない場合、どちらを正とするのか判断が必要になります。確認者も両方を見ることになり、承認や修正の流れが複雑になります。電子化によって効率化するはずが、かえって手間が増える典型的な失敗です。
二重管理を防ぐには、電子記録を正式記録として扱うための条件を事前に決める必要があります。記録者の識別、入力日時の記録、修正履歴の保存、承認フロー、帳票出力、検索方法、保管期間、閲覧権限などを整理し、紙で行っていた確認行為を電子上でどう代替するのかを明確にします。単に画面入力を開始するだけでは、現場や管理者が不安を感じ、紙を手放せません。
承認や確認の流れも見直しが必要です。紙の運用では、点検者が記入し、班長や管理者が確認印を押し、必要に応じて保管担当が整理するという流れがあるかもしれません。電子化後も同じ考え方は必要ですが、画面上で確認済みの状態をどう示すのか、差戻しや修正依頼をどう扱うのか、承認後の変更をどう記録するのかを決めておく必要があります。ここが曖昧だと、確認のために紙へ出力する運用が残ってしまいます。
過去記録の扱いも重要です。すべての過去記録を一度に電子化しようとすると、作業量が大きくなりすぎます。一方で、過去記録がまったく参照できないと、電子化後の記録だけでは設備の経過を把握しにくくなります。優先順位を決め、重要設備、直近の故障履歴、更新計画に関わる記録、法令や社内規程上の保存が求められる記録などから段階的に整理する方法が現実的です。紙の原本を残す範囲と、電子化したデータを参照用として扱う範囲も明確にしておく必要があります。
移行期間を設定するときは、終了条件を決めることが大切です。「しばらく併用する」という表現では、いつまでも紙が残る可能性があります。例えば、一定期間の試行で入力漏れや承認不備が許容範囲に収まったら電子を正式記録にする、対象設備を段階的に広げる、特定帳票から紙廃止を始める、といったように、判断の基準を持つことが必要です。終了条件が明確であれば、現場も移行の見通しを持ちやすくなります。
ただし、すべてを一気に電子化することが正解とは限りません。安全上の確認や非常時対応で紙が必要な場面、現場に持ち出す簡易帳票が有効な場面、外部関係者との確認で紙出力が求められる場面もあります。重要なのは、紙を残す場合でも、その理由と範囲を明確にすることです。紙を補助資料として使うのか、正式記録として使うのかが曖昧だと、二重管理になります。
保守記録の電子化では、紙をなくすか残すかという単純な判断ではなく、正式な記録の所在を明確にすることが重要です。電子記録を正式なものとして運用する条件を整え、紙との併用期間に終わりを設けることで、現場負担を抑えながらDXの効果を出しやすくなります。
データの検索性・権限管理・保全判断への使い道を設計する
保守記録を電子化する大きな利点は、過去の情報を探しやすくなることです。しかし、電子化しただけで自動的に検索しやすくなるわけではありません。設備名、場所、点検日、異常区分、対応状況、写真、担当者、承認状態などが適切に整理されていなければ、必要な情報をすぐに見つけることはできません。導入前には、どのような場面でどの記録を探すのかを具体的に想定しておく必要があります。
保守現場で記録を探す場面はさまざまです。前回点検で指摘された箇所を確認したい、同じ設備で過去に似た異常がなかったか調べたい、補修後の経過を見たい、故障発生時に直近の点検結果を確認したい、更新計画の対象設備を抽出したい、監査や報告のために特定期間の記録を確認したい、といった場面があります。これらの検索目的を想定せずに電子化すると、入力はされているのに探しにくい記録になります。
検索性を高めるには、設備台帳との連携が重要です。保守記録が設備ごとに紐づいていれば、対象設備の履歴を時系列で確認できます。設備台帳に線区、駅、キロ程、設置場所、設備種別、管理部署などの情報が整理されていれば、条件を絞って記録を探しやすくなります。逆に、記録ごとに手入力で場所や設備名を書いているだけでは、表記揺れが発生し、検索結果が分散します。
また、異常や対応状況の分類も検索性に影響します。例えば、同じような状態でも「腐食」「さび」「劣化」「損傷」などの表現が混在すると、横断的に検索しにくくなります。すべてを一つの言葉に統一するのではなく、上位分類と詳細記述を分ける考え方が有効です。集計や検索に使う分類は選択式にし、現場固有の状況は自由記述や写真で補うことで、使いやすさと分析しやすさを両立できます。
保守判断に使うためには、記録の状態管理も必要です。未確認、確認中、対応済み、経過観察、次回点検で確認、補修計画へ反映済みなど、記録がどの段階にあるのかが分からなければ、異常指摘が埋もれてしまいます。電子化では、記録を残すだけでなく、対応が完了するまで追跡できるようにすることが大切です。特に軽微な異常や経過観察の記録は、次回以降の確認につながらなければ意味が薄れます。
写真や添付資料の検索性も考える必要があります。写真が大量に保存されても、どの設備のどの部位を示しているのか、点検時の状況なのか補修後なのかが分からなければ活用しにくくなります。写真には、設備、部位、撮影日、撮影目的、コメントなどを紐づけることが重要です。図面、測定結果、補修報告、立会記録などを添付する場合も、関連する保守記録や設備と結びついている必要があります。
データ活用を意識しすぎて、入力項目を増やしすぎることにも注意が必要です。将来の分析に使えるかもしれないという理由で項目を増やすと、現場の入力負担が高まり、記録の質が下がることがあります。入力されない項目や、適当に選ばれる項目が増えると、データの信頼性は低下します。電子化前には、必ず入力すべき項目、必要に応じて入力する項目、自動で付与できる項目を分け、現場で無理なく続けられる設計にすることが重要です。
将来的に保全計画や更新計画に活用したい場合は、記録の粒度もそろえる必要があります。ある現場では設備単位で記録し、別の現場では部位単位で記録していると、劣化傾向の比較が難しくなります。点検周期、判定区分、対応期限の考え方もそろっていなければ、優先順位づけに使いにくくなります。電子化は、保守判断に必要な情報を標準化する機会でもあります。
一方で、電子データだけで保守判断が完結するわけではありません。現場の経験、音や振動、におい、周辺環境、過去の施工経緯など、定量化しにくい情報も重要です。電子化では、こうした現場知を排除するのではなく、必要な情報を記録に残しやすくすることが求められます。自由記述欄を適切に残したり、引継ぎコメントを履歴として管理したりすることで、熟練者の判断を次の担当者に伝えやすくなります。
あわせて、情報セキュリティと権限管理を後回しにしないことも重要です。保守記録には、設備の位置、状態、点検内容、異常箇所、対応履歴、写真、作業体制など、取り扱いに注意が必要な情報が含まれます。電子化によって共有しやすくなる一方で、誤送信、不要な閲覧、端末紛失、データの持ち出し、権限の残存といったリスクも生まれます。
紙の記録では、保管場所や持ち出しルールによってアクセスを制限していた場合があります。電子化後は、画面上で簡単に検索できるため、必要な人が必要な情報にすぐアクセスできる利点があります。しかし、すべての利用者がすべての記録を見られる状態にすると、情報管理上の問題が起きやすくなります。設備の種類、担当部署、業務上の役割、協力会社との関係に応じて、閲覧、入力、修正、承認、出力、削除の権限を分けることが必要です。
特に注意したいのは、修正権限と削除権限です。保守記録は後から確認する証跡としての役割を持つため、記録が簡単に上書きされたり、削除されたりすると信頼性が損なわれます。入力ミスの修正は必要ですが、修正前の内容、修正者、修正日時、修正理由が分かるようにしておくことが望ましいです。削除が必要な場合も、完全に消すのではなく、取消や無効化として履歴を残す運用を検討する必要があります。
協力会社や外部関係者が記録に関わる場合は、さらに慎重な設計が求められます。作業に必要な範囲だけを閲覧できるようにする、担当外の設備情報にアクセスできないようにする、契約終了後や作業終了後に権限を速やかに停止する、といった運用が必要です。アカウントを共用すると、誰が入力したのか分からなくなるため、記録の信頼性が下がります。個人または役割単位で利用者を識別できる仕組みを整えることが大切です。
端末の管理も情報セキュリティの一部です。現場用端末には、設備写真や一時保存データが残る場合があります。紛失や盗難が起きたときに、第三者が情報を見られないようにする対策が必要です。画面ロック、利用者認証、遠隔での利用停止、不要データの自動削除、端末返却時の初期化など、基本的な管理ルールを決めておくことが求められます。
また、電子化した保守記録をどこまで共有するかも整理が必要です。現場の効率を高めるためには共有が大切ですが、共有範囲が広すぎると情報の取り扱いが難しくなります。安全管理、設備管理、計画部門、教育担当、監査担当など、記録を使う部門ごとに必要な情報は異なります。すべての情報を同じ粒度で見せるのではなく、目的に応じて閲覧範囲や表示内容を調整する考え方が必要です。
さらに、保守記録は長期間保管されることが多いため、保管期間やバックアップの考え方も確認しておく必要があります。電子データは検索しやすい一方で、保存形式やシステム変更の影響を受けます。将来、システムを更新したときに過去記録を読めるか、必要な帳票を出力できるか、バックアップから復旧できるかを考えておくことが重要です。短期的な入力のしやすさだけでなく、長期的な記録保全の視点が欠かせません。
保守記録の電子化を成功させるには、「入力するための仕組み」ではなく、「探して使い、安全に管理するための仕組み」として設計することが大切です。検索しやすく、履歴を追いやすく、対応状況を把握しやすく、必要な人だけが適切に扱える記録になれば、電子化は単なる事務効率化を超えて、保全品質の向上につながります。
まとめ
鉄道DXで保守記録を電子化する取り組みは、紙の削減や事務作業の効率化だけを目的にすると、期待した効果が出にくくなります。保守記録は、現場作業の結果を残すだけでなく、設備状態の把握、異常対応、補修計画、更新判断、引継ぎ、教育、監査対応に関わる重要な情報です。電子化するなら、記録を後から使える形に整える視点が欠かせません。
最初に確認すべきなのは、電子化によって何を改善するのかです。紙をなくすことだけでなく、過去履歴を探しやすくする、対応漏れを防ぐ、設備ごとの状態変化を追う、現場と管理部門の情報共有を早めるなど、具体的な目的を決める必要があります。目的が明確であれば、必要な記録項目や画面設計、承認フローも決めやすくなります。
次に、入力項目とルールをそろえることが重要です。現場ごとの表現の違いや設備名称のばらつきが残ったまま電子化すると、データとして活用しにくくなります。選択式にする項目、数値で残す項目、自由記述で補う項目を分け、現場が迷わず入力できる仕組みにすることが大切です。写真や添付資料も、何を示す記録なのか分かるように紐づける必要があります。
現場で使える環境を整えることも欠かせません。通信が不安定な場所、端末操作が難しい作業環境、夜間や雨天の作業、端末の充電や故障対応などを想定しておかなければ、電子化は現場に定着しません。安全確認を妨げない入力タイミングや、通信できない場合の一時保存など、現場実態に合った運用設計が必要です。
また、紙と電子の二重管理を長引かせないことも重要です。移行期間を設けること自体は自然ですが、正式記録をどちらにするのか、承認や修正履歴をどう残すのか、過去記録をどこまで電子化するのかを決めないまま始めると、現場負担が増えてしまいます。併用する場合でも、対象範囲と終了条件を明確にしておくべきです。
さらに、検索性、保全判断への活用、権限管理を最初から設計することで、電子化の価値は大きくなります。設備台帳と紐づいた記録、異常区分や対応状況の整理、写真や履歴の検索性、経過観察の追跡が整えば、保守記録は単なる保管資料ではなく、現場判断を支える情報になります。加えて、誰が見られるのか、誰が修正できるのか、どの履歴を残すのか、どの範囲まで共有するのかを明確にすることも必要です。
保守記録の電子化は、現場に新しい入力作業を増やすためのものではありません。現場で得た情報を、次の点検、次の補修、次の安全判断へつなげるための基盤づくりです。小さく始める場合でも、目的、項目、現場運用、二重管理の解消、検索性、権限管理を押さえておけば、鉄道DXの取り組みとして着実に前進しやすくなります。自社の保守記録をどこから電子化すべきか整理したい場合は、現場の記録運用、正式記録の扱い、必要な権限管理を確認しながら、段階的な進め方を検討することが大切です。